37『不覚』



 強さは手に入れるものではない。
 どこから手に入れた強さはあなたのものではない。
 そして人に自慢できるものでもない。

 強さは努力から生まれるものである。
 その強さは努力をしたあなたのものだ。
 しかし強さは決して必要なものではない。



 オキナのノートの語る通り、ファトルエルの“ラスファクト”《グインニール》はそこにあった。
 それは自ら青い光を発しており部屋を幻想的に照らし出していた。
 青く透き通った鉱石のようだが、人工的な手を加えられたかのように、綺麗に横たわった十字の形をしている。
 その全体からは止めどなく、透明な清水が湧き出ており、湧いた水は、床に掘られているいくつかの溝を通って外に流れ出て行っている。ここからファトルエルの街に流れ、ファトルエルの民の喉をうるおしているのだ。

 ファルガールはいささか放心した状態のまま、吸い付いて行くように《グインニール》の方に足を進めた。
 傍に寄って見上げる。
 《グインニール》は浮いており、そしてとても大きかった。
 それからは水が湧いて床に落ちて行くわけだが、滝という感じではない、水の柱、が適当な表現だろうか。一見動いていないようで、手を差し伸べると流れている事が分かる。
 何という不思議なものだろう。
 何という神秘的なものなのだろう。
 オキナは“ラスファクト”の事を星の産物だといった。
 いまいちピンと来ていなかったのだが、実際見てみるとまさにそれだ。

『《グインニール》は知っての通りこの街の水源だ。しかし、それが水を生み出す原理は全くの謎だ。それが分かれば君は全世界の学者達を出し抜き、その仕事を奪い取ってしまう事になるだろうね。“ラスファクト”の謎は最もポピュラーで最も大きな謎なのだよ。
 君は“ラスファクト”について知り、“大いなる魔法”に対抗したいといっていたね。これはそのためのアドバイスだと考えて欲しい

 私の持っている古文書を書いた人は、メカニズムを知り尽くしたわけではないが、少なくとも“ラスファクト”がどんなものであり、どう扱うのかを知っていたようだ。
 君もこの先、“ラスファクト”の事を調べようと思うなら、古代人の事から調べた方がいいかもしれない。

 私の古文書にもいくつか“ラスファクト”について記述があった。記述といっても注意書きのようなものだったがね、最初に言った“ラスファクト”に魔力を触れさせてはいけないというのもその一つだ。
 他には水を止めたい時には「レマ・トズミシ」、持ち運びができるように小さくしたければ「レナク・サイチ」と唱えかければいい。
 ただし、実際にやるな。この水を止めると、地盤を支える水脈がなくなる事でこのファトルエルの街は崩壊してしまう。
 もともとそうなるように作っていたらしい。ファトルエルの主であった者が街を奪われた時、敵に使わせようとしたのだろうね。

 他の“ラスファクト”はともかく、この《グインニール》に関しては少なくとも人が利用していたものだったようだ。ただ、この古代人達も、この“ラスファクト”がどこからきたものかは分からなかったらしいがね。
 ひょっとすると“ラスファクト”は一つ一つが何かの源なのかもしれない。例のヴァクス山の“ラスファクト”も溶岩の源だったと考えれば説明はつく。
 万物の源を全て辿ればいつも“ラスファクト”に行き着くのではないだろうかと思うのだよ。そして、その“ラスファクト”自体の源。それが“大いなる魔法”の唱え手なのではないだろうか。

 全ては私の憶測で想像だ。知りたいと思うが、既に時間はない。
 私は君に全てを託したこの時点で全ての研究を打ち切りたいと思う。
 どうか止めないでくれ。私はもう疲れたのだよ。手がかりのあまりに少ないものを探して回るのは。

 ……最後に私の無二の友である君に聞いて欲しい事がある』

「……オキナ……」

 その先を読み、呟いたファルガールは背後に人の気配を感じ取った。
 ノートを閉じて後ろを振り向く。

「先客がいる事は知ってたが、まさか貴様とはなァ……、ファルガール=カーン」
「……ハークーン=ネフラ!?」

 ファルガールはその男を知っていた。
 十五年前のファトルエルの決闘大会三日目の夕方、ファルガールが同じく参加者であった彼を倒した時、決勝の二人が決まった事を知らせる鐘がファトルエルに鳴り響いたのだった。

「何故ここに!?」
「“ラスファクト”を頂きに来たに決まってるだろう?」
「そうじゃねェ! どうやってここに入った!?」

 この地下迷宮への入り口はオキナとファルガールしか知らない。
 よしんば偶然と奇跡が重なって見つけられたとしても、地下迷宮の進み方はオキナの持っている古文書かノートを見るしかないはずだ。
 ハークーンは狂暴性に満ちた笑みをファルガールに向けた。

「くっくっく……分からんわけじゃあるまい?」

 そんなハークーンにファルガールは不快感を表に見せる。
 だが、その表情すら、ハークーンは愉快でたまらない様子だ。
 ハークーンは不敵な笑みを浮かべながら身構えた。

「さぁ、さっさと始めようぜ。ここは闘いの聖地。何事も闘って決めなきゃなァ」
「お前、正気か? 十五年前、俺と闘ってどうなったか忘れたわけじゃねェだろ?」

 十五年前、ファルガールは自信たっぷりに挑んできたハークーンをたったの一撃で楽々と破ったのである。
 たしかにあの時から十五年経っているが、十五年であの時の実力の差は埋めるのはさすがに難しいのではないだろうか。
 確かに十年前のリクは十五年前のハークーンよりずっと弱かった。そして今はファルガールにもひけをとらないほど強いだろう。しかしそれはリクが成長期にあったからで、十五年前の時点でハークーンは既に完成されてしまっていた。

「それを聞くのはこいつを喰らってからにしな! 《炎》!」

 短い言葉と共に激しく燃え盛る炎がファルガールを襲う。
 ファルガールはそれに驚きつつも、冷静にそれを横っ跳びで避け、すかさず魔法を詠唱する。
 ハークーンも負けずに続けて唱えた。

「《雷》っ!」
「その槍穂貫くは天地! その光が意味するは天の裁き! その先からは轟く光がほとばしり、全ての罪を討ち滅ぼす! 稲光と共に現れよ! 稲妻纏いし紫電の矛《ヴァンジュニル》!」

 魔法を詠唱した後、ファルガールは手を振り上げた、そこにどこからか稲妻が落ち、閃光が辺りを包む。彼を襲ったハークーンの稲妻は完全に打ち消されていた。
 そして光が収まった時、ファルガールの手には一本の長い槍が握られていた。
 その槍はファルガールの身長の二倍くらいで、その三分の一を占める長い槍穂は細長く二叉に別れていた。
 その全体にはバチバチと紫電が纏われ、二叉に別れた槍穂の間には小さな稲妻の光球が浮かんでいる。
 自然の力を武器の形にして使用するリクとファルガールの流派の魔法の完成型、魔法武具召還。
 ファルガールが手にしたのは雷を操る矛《ヴァンジュニル》だった。

 構わず、ハークーンは続けた。

「《水》っ! 《氷》っ!」

 襲いくる水流と氷隗をファルガールは手に持った《ヴァンジュニル》を一閃させるだけで振り払ってしまった。
 その様子を見てハークーンは嬉しそうに笑った。

「待ってたぜ、十五年前の優勝者、ファルガール=カーンの十八番!」
「“烙印魔法”か……どこで手に入れたのかは知らんがそれだけじゃ俺は倒せねぇぞ」
「分かってる……だがこれならどうだ?」

 ハークーンがそう言って取り出したのは青い液体が入った小ビンだった。そのコルクを開けて中を飲み干すと、小ビンは床に放り出された。
 暫くするとハークーンの身体に変化が起きた。
 皮膚が赤く変色し、筋肉が盛り上がって上半身の服がはち切れる。やはり、彼の身体にも所狭しと刺青が彫られている。
 そんな身体からは魔力が蒸気のように“魔導眼”を使わずとも目に見える形となって溢れ出す。
 得意そうな笑みを浮かべ、ハークーンは言った。

「行くぜ」

 そしてハークーンの姿が消える。
 と、ファルガールの背後から姿を現し、唱えた。

「《爆炎》っ!」

 先程とは比べ物にならないくらい規模が大きく、激しい炎がファルガールを包む。
 ハークーンは一瞬でファルガールの左側に回った。

「《雷電》っ!」

 ファルガールの頭上から雷が落ちる。
 つぎにハークーンが現れたのは右側である。

「《濁流》っ!」

 ハークーンの目前に大量の水が生まれ、ファルガールに襲い掛かる。
 そしてハークーンは笑った。

「クハハハ! 見たか! この俺の力を! “烙印魔法”に加え、“ソーマ”で魔力を増強した俺の力を! 速い! 強い!」

 ハークーンが身体に施した刺青はイナスとは少し違うものだった。二文字の呪文を用い、その威力は格段に一文字のそれとは違う。
 ただし、二文字に増えると、消費する魔力がケタ違いに多い。
 普通に使うと二、三発放つだけですぐに魔力が底をつくのだ。

 それを補う為にハークーンが服用したのが、魔力を凝縮した液体“ソーマ”である。
 “ソーマ”を飲めば先ず魔力が尽きる心配はなくなるし、魔力の質が重くなり、魔法の威力が格段にアップする。
 要するに魔導士がこれを飲めば段違いの力を得る事ができるのだ。

 だが、はっきり言って液体になるまで凝縮した魔力の量とは到底一個人の中に収まり切るものでは無い。
 だからそれを限界まで押さえ込んだ身体は肥大化し、赤く変色するのだ。
 そして、この時の身体の負担は恐ろしく重く、“ソーマ”を一瓶飲むと、一年寿命が縮むと言われている。
 この負担に耐えられないためにすでに多少歳をくってしまっているイナスは“ソーマ”を使用できなかったのだが、普通の人間でも“ソーマ”は飲むのは躊躇われる。

「貴様などもはや足元にも及ばん! どうだ、ファルガール=カーン! なんとか言って……!?」

 ハークーンは途中で言葉を止めた。
 その顔からはどんな形であれ、先程からずっと浮かべていた笑顔がすっかり消えてしまっている。
 彼の目の前にはファルガールがいた。
 あれほどの猛攻撃を加えても、彼の身体には一切傷がついていない。

「……で?」
「な、……なっ!?」

 彼の何事も無かったかのように振る舞う様子に驚きおののくハークーンを見て、ファルガールはため息をついた。

「それだけか?」

 そう言ってファルガールがハークーンに向かって一歩足を踏み出した瞬間、ハークーンは狂ったように正面に突撃した。

「うおぉぉぉっ! 《爆炎》! 《濁流》! 《雷電》! 《豪雹》!」

 次々とレベル7クラスの規模の魔法が四連発で発動する。
 それらを前にしてもファルガールは身じろぎもせず、《ヴァンジュニル》を構える。それに答えて、《ヴァンジュニル》の纏う紫電も力を増して行く。

「電気の流れは磁力の流れ、磁力の流れはこの場を囲い、全ての流れをねじ曲げ《磁場》をなす!」

 ファルガールが唱え終わると同時に《ヴァンジュニル》の先の電気の玉が大きく広がり、彼を守るように包み込んだ。
 そして彼を襲った魔法は全て彼に届く事無く、壁に沿って方向を変えてあさっての方向に跳ね返った。

 ハークーンはその一部始終を信じられない面持ちで見つめていた。
 そしてその表情に露骨な焦燥感が現れる。

「馬鹿な……馬鹿な…馬鹿な! 馬鹿な馬鹿な…………馬鹿なぁぁ!」

 叫ぶと共にハークーンはもう一本、青い液体の入ったビンを取り出し、今度はビンごと口の中に放り込んで噛み砕いた。
 割れたガラスがハークーンの口の中を切り、彼の唇の端から一筋の血が流れる。彼は血にまみれたビンの欠片を床に吐き出す。
 それと同時に彼にさらなる変化が起こった。
 ハークーンの肌が、更に血のような赤色に変色して行く。そして身体も更に肥大化する。
 もはや人間の姿ではなかった。

「あり得んっ! ここまで強くなった俺が負ける事などあり得んっ! うおぉぉ! 《爆炎》っ! 《濁流》! さらに……ぐあぁっ!?」

 ハークーンの攻撃はそれ以上続かなかった。
 その間にファルガールが《ヴァンジュニル》の先にあった雷を帯びた玉を一振りして放ち、ハークーンの腹部にヒットさせたのだ。
 帯電した玉はそのままハークーンを背後にあった壁まで吹き飛ばし、磔にした。
 ファルガールは間髪入れずに、距離を詰め、壁に張り付いているハークーンの顔のすぐ横に《ヴァンジュニル》を突き刺す。

 真っ赤になった顔を歪ませ、ハークーンはいくつもの疑問を浮かべたような表情を、自分を睨み付けるファルガールに向ける。
 何故だ。
 何故、全く歯が立たない。
 俺は強くなったはずだ
 俺は貴様を超えたはずだ。
 何故、貴様はそんなに強い。

「今すぐてめェをぶちのめしてぇトコだが、その前に聞く事がある」

 ハークーンはそのままの表情でほとんど反応を示さなかったが、ファルガールは構わず続けた。

「オキナ=バトレアスをどうした?」
「……殺した」

 かろうじて、だがはっきりと答えるハークーン。
 ファルガールは数瞬、ハークーンから目を放して沈黙したが、すぐにもう一度改めて睨み付け、矛を持っていない手で、ハークーンの首を掴む。

「二つ目の質問だ。てめェに“ラスファクト”を手に入れるように言ったのはどこのどいつだ?」

 尋ねた後、話す事ができるように首を持つ手を緩めたが、ハークーンは全く声を挙げなかった。

「質問を変えようか? てめェのこのくだらねぇ刺青を施し、ろくでもねェ魔水を与えたのは誰だ?」

 ファルガールの容赦の無い口調にハークーンがぴくりと眉を動かす。

「くだらない、だと?」
「ああ、くだらねぇし、ろくでもねぇ。お前は強くなったとか言ってたが、笑わせてくれるぜ。お前の魔法が速いのは誰かさんに施してもらった“烙印魔法”のお陰だ。お前の魔法が強いのは誰かさんに与えてもらった“ソーマ”のお陰だ。
 お前の強さは自分自身で生んだモンじゃねぇ。誰かさんに与えてもらったモンだろうが。それを自慢して見せびらかしてどうする? ま、たとえ、自分の努力で強くなったんだとしても強さは自慢できるモンじゃねぇけどな」

 ファルガールの一言一言にハークーンの顔が歪んで行く。

 否定が出来ない。
 しかしそれを認めてしまえば、この十五年にやってきたあらゆる事も否定される事になってしまう。
 彼にとってこの十五年は強さが全てだった。
 この十五年を否定されれば彼の全てが否定されるに等しい。
 しかしその否定は否定出来ない。
 ならば……

 彼の顔は歪みに歪み、そしてハークーンはいつの間にか笑っていた。

「くくく……」
「何が可笑しい?」
「いや、お前は同じ台詞をその誰かさんに言えるのかと思ってな」
「誰かさんの正体を教えてくれたらいくらでも言ってやるよ」

 ファルガールがそう返すと、ハークーンの笑みはますます広がった。
 その不敵な様子に、ファルガールも眉を潜める。

「いいだろう、教えてやるよ。俺に力を与えたのはジャガントラ……グランデルク=ジャガントラだ……」
「グランデルク=ジャガントラ……!?」

 ファルガールが思わず聞き返した瞬間、変化は起きた。
 ハークーンの身体に異変が起こり始めた。彼の身体から光が発せられ始めている。
 その変化が一体何を意味しているのかを知っているのか、ハークーンの笑みは更に広がった。

「これは土産だ。と言っても置き土産だがな。しかしお前も後からついてくることになるかもしれんなぁっ! くはははは……!」

 ハークーンの笑い声と共に、光はどんどん大きくなって行く。
 彼の言葉、変化からファルガールは状況を読み取り、思わず舌打ちをした。

「し、しまった……!」

 次の瞬間、ハークーンは爆発した。
 彼の“烙印魔法”の一つ《裏切りへの報復》。彼の属する組織を裏切る行為をした場合、自動的に発動する魔法だ。つまり、裏切った瞬間、周りを巻き込んで自爆させる魔法。
 もっとも、ハークーンの場合、心から裏切ったわけではない。この魔法を発動させようと、あえて組織の頂点に立つ者の名前を教えたのだ。

 もうどうでもいい。
 せめてお前に一矢報いてやる。
 それが俺の十五年のたった一つの成果だ……

 迫りくる爆炎を前にファルガールは《磁場》を展開し、威力をいなす。だがそれだけでは威力を殺しきれず、爆圧に吹き飛ばされ、向かい側の壁まで吹き飛ばされた。
 後頭部を打ち、意識が飛びかける。
 朦朧とする視界の中で、魔力を含んだ爆発がファトルエルの“ラスファクト”《グインニール》を巻き込むのを捕らえる。

(ま、不味い……!)

 魔力に触れてしまった《グインニール》は水を生み出すのを止め、ぼんやりと青い光を放ちはじめる。
 それはだんだんと明るくなっていき……青い閃光が部屋を包み込んだ。


 こうして、ファトルエルで最も長いと語られる伝説の夜が始まった。

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